人生を仕舞う

人生をどう仕舞っていくか。遺せるものはあるか。

「感覚過敏」講演会を聞いて

 感覚過敏に関する講演会を聞いた。

 「感覚の共有」ができないことが、もどかしい。

 特性を持った子どもたちは、生まれた時からその特性とともに生きてきたと思う。だからその感覚を普通のことに感じていたのではないか。学齢期に達し、自分と、他の子が少し違うという認識ができるようになる頃、その特性に気づくのではないかと思う。

 特性を持った子どもたちは、その感覚を上手く表現できないし、特性を持たないものはその感覚を感じ取ることができない。

 もしかしたらと言うか確実に、子どもたちから、特性の辛さの訴えがあったはずだ。だが、それに気づくことはできなかった。

 今期、直接の要因ではないが、特性を持った生徒が志望校に合格できなかったと聞いた。受験の際、合理的配慮がなされなかったらしい。その原因は学校自体にあるわけではなく、感覚過敏の特性があまりにも知られていないことにあると思料した。

 昔は子どもを連れて出歩くのはとっても大変だった。今は、授乳室やおむつ交換ベッド、交通機関にはベビーカー固定場所が普通に設置されている。

 特性を持った子どもたちや人々が、とんでもなく大変な思いをしなければ外出できない時代をそろそろ終えよう。

 カームダウンスペースを先ずは、授乳室と同じレベルの数まで設置していこう。

 感覚過敏についての知見を広めていこう。

 講演会を聞いて、強く思った。