「返事・挨拶・ありがとう」が言えない
週1回、学童保育室でアルバイトをしている。
小学校1年生から4年生くらいまでが利用する、学校が終わってから親が迎えに来るまで過ごす施設だ。
びっくりすることはいくつもあるが、ほとんどの子どもが返事、挨拶、ありがとうを言わない。学校の教員ではないから馬鹿にしている面もあると思う。
時間が来た時、「本を読むのを止めてかたずけて」と言っても、片付ける子はいない。「なんでかたづけないといけないんだよっ!」って言ってくる子もいる。
バイトなので時給さえいただければよい。教育しようとは思わないから何もしない。
迎えに来た親も挨拶はできない。
昔なら「お世話になりました」と言って帰っていたと思う。
所詮共働きの家庭なので、満足な教育はできていないとは伺えるが、こんな子供が社会に出ていくのかと思うとぞっとする。
というか、学童保育室で育った子供たちはすでに社会に出ている。
だからこんな社会になってしまったんだろう。
子どもは親の鏡だ。
何で怒られているかわからない。
小学生4年のころから、学校の先生に怒られることが多くなった。
みんなの前に立たされて、謝るように言われることもあった。
そんな状態で謝らなければならないのだから、とんでもないことをしたのだと思う。
だけど、何で怒られているのか、わからなかった。
謝る理由がないから、ずっと謝らなかった。
帰りの会で怒られたときは、「謝るまでは終わりにしない。だからみんなも帰れない。」と先生は言う。 謝れ! 謝れ! の声が続く。
人の表情や仕草で心の様子を読み取ることができなかった。
多分、このことが原因で誰かを傷つけるようなことを言ったりやったりしたのだと思う。
その当時ASDという言葉はなかった。
このころから、”人と関わるととんでもないことになる”と思うようになった。
自分の周りに壁を作り、他人が入ってこないようにした。
学校では口を利くことはなく、頷きなどで意思表示をしていた。
こういう生き方を始めてから、トラブルに巻き込まれることはなくなった。
社会科見学や修学旅行の行動班を決める時は、必ず最後まで残り、人数の少ない班に入れられた。もちろん社会科見学や修学旅行は仮病を使い行かなかった。だから修学旅行には一回も行ったことがない。
親も薄々わかっていたんだと思う。無理に行くようには言わなかった。心配かけてしまい申し訳なかったと思う。深く理由は聞かず、無理強いしないことに本当に助けられた。
今でも生き方は変わっていない。
友達は一人もいない。
それでも生きている。
教員免許
教員免許は通信制大学で取得した。
1回目に卒業した大学の単位が流用できたから、1から取得するより、取得すべき単位は少なくてよかった。
通常では2年間で取得できる設定であったが、2年半要してしまった。
スクーリングは楽しかった。同じ目標を持つ人たちと話ができたり、苦手分野をお互いに教えあったりした。
通信制なので、皆、本業は持っている。
その合間を縫って勉強したり、レポートを作ったり… 想像していたよりはるかに大変だった。
さらに、脳の活動も劣っており、以前より覚えるのに時間がかかり、忘れるのは時間がかからなかった。
とにかく参ったのは「C言語」だ。
C言語は全く初めて見るものだった。
何をどうしてよいかわからないところから始め、コンパイルするとエラー、修正してやっと動くようになる。
途方もない作業が続いた。
何回も落第した、次回落第したら、教員免許は諦めようと思った。
何回も落第したので、さすがに単位は取れた。
知らないことを知ることは楽しかったし、できないことができるようになることも楽しかった。
職場の人たちには全く分からないようにやっていたので、優越感もあった。
スクーリングには、金曜日の夜行バスに乗って、土曜日曜スクーリングを受け、日曜の夜行バスに乗って帰宅、そのまま職場に行っていた。
疲れていても、職場に行きさえすれば、ATMからお金が出てくるような職場がありがたかった。
プリンに匙を刺す
学童保育施設に週1回支援員のバイトに行っている。
夕方おやつの時間がある。
その日は、プリンとスナック菓子。
プリンの賞味期限が近付いているらしく、2個食べられる子には2個配られた。
さらにプリンは余り、3個目が食べられると手を挙げた子には3個目が配られた。
隣の保育室から、プリンが足りなくなったといい、先生が取りに来た。
3個目をもらった人は1個返してほしいと先生が言った。
その時、3個目のプリンを入手した子のうちの一人は、すぐさま3個のプリンの蓋をはがし、なめたスプーンを3個のプリンに次々と刺していった。
唖然とした。
足りなくて食べられない子がいるのがわかっているのに、刺すのだろうか?
「お里が知れる」という言葉があった。
そんなことでは済まされない。
人格異常だ。
こんな奴が大人になる前に寿命が来るので本当に良かった。
こういう子供は、今のうちに殺してしまおうと思った。
「星降る夜に」0207
お蕎麦屋さんの前で、注文の仕方がわからないおじいさんがいた。
ショウウィンドに並んだ食品サンプルを見るように促し、おじいさんが食べたいものを指した。
その商品の食券を隣にある券売機で買い方を教えてあげ、おじいさんは食券を得ることができた。
路の反対側にいたおじいさんに気づき、困っていることは何かを推測し、路を渡って手助けに行く。
このような場面があった。
柊さんにすごく感動した。
”相手の立場に立って”とか”人の気持ちを考えて”とかよく聞く。
それができる人が一体この世界にいるのだろうか。
路いっぱいに広がって大声で話しながら、避けもせずに行進してくる人たち。
電車の扉付近にかたまって、荷物を床に置き、スマホを弄っているか、大声で話している人たち。
こんな荒んだ世界に生きていると、柊さんの行いに、すごく感動する。
自分も斯くありたい。
中学受験
2月1日から中学受験が本格的に始まった。
特に1日に実施する中学校が多い。
近くに日能研の教室がある。
夕方にはNバックを背負い、たぶんお夕飯のお弁当なのだろう、小さいバックを持った小学生をよく見る。
22:00過ぎには塾帰りのNバッグキッズもよく見る。
ある機会に、日能研の算数のテキストを見せてもらったことがある。
4年生のテキストに、植木算の問題があった。
ページを進めていくと、数列に繋がっていて、「初項」、「公差」という用語が普通に出てきた。
数Ⅱでやる内容だったような気がする。
公立中学校と私立中学校とでは、学習内容が全く違う。
数学では、ほとんどの私立中学校で数研出版の「システム数学」を使い、担当の先生の独自プリントも使って学習している。
公私を比較すると、私立中学の方が断然学力が高くなることは明白だ。
何を以て、勝ち組、負け組とするかわからないが、この子たちは、勝ち組に属する可能性が高いであろう。
ともあれ、今日まで3年間いろいろなことを我慢し、勉強に集中してきた小学生を、
酷い目に合わせることは絶対にあってはならない。
桜は、みんなに咲く!