人生を仕舞う

人生をどう仕舞っていくか。遺せるものはあるか。

星降る夜に 0307

なんであんなに心が透明な人がいるのだろう。

なんであんなに人の心がわかるんだろう。

そして、その心の状態の時、なにをすればよいかわかるのだろう。

 

いままで、そんな人に出会ったことがない。

人間に癒されたことがない。

 

ドラマだから…

一星さんだから…

そうなのだろうか。

人はなんでこんなにギスギスした地球で暮らしていけるのだろう。

 

限界が見えてきた。

「リエゾン こどもの心診療所」を視て

リエゾン こどもの心診療所」という番組が終わった。勿論すべての放送を視た。

佐山先生、遠野先生、向山臨床心理士、佐山りえ先生の言葉が心に刺さった。

毎回泣いた。

 

”「私なんか」と言うのをやめましょう。”

”あなたにはあなたにしかないものがある。”

このような言葉をかけられていたら、自尊感情は高まっただろう。

 

ASDADHDの特性も学べた。子どもたちが、どれほど辛い思い、苦しい思いをしているかわかった。

子どもたちが、これだけ苦しんでいるのに、この特性に合わせた教育の仕組みがないことは大問題だ。

 

涙を流す子どもを見るのはとてもつらい。

 

たとえ凸凹があったとしても、それを補い合って生きていける世界が欲しい。

 

全ての子どもが幸福に育つ環境は恐らく存在しない。けれど子どもの時の幸福な記憶は、一生の宝物になる。

 

どうか大人の皆さん、子どもには、少しでもいい、幸福な記憶が持てるようなかかわりをしましょう。

お願いします。

 

嫌いな子の家庭教師最終日 終わってよかった!

担当している家庭教師のうち、一人の生徒の指導が終わった。

集団塾で十分やっていける学力になったので、2ケ月前くらいから塾を選んでみたらどうかと話した。

ここで塾が本格的になり家庭教師が終わった。

今回終わった子は、授業が始まる時間になっても食事が終わらなければゆっくり食事を済ませる。土曜日の午前中は、起きていないこともある。親も「まだおきていないんですよね~」と言い、起きるまで待たされる。親と外出し、時間になっても戻ってこない、30分以上待ったこともあった。

お金を払って雇っているのだから、そのくらい当たり前だと考えているのだろう。

粗末に扱われることには慣れているが、人としてどうなのだろうと思うこともあった。

だからと言って指導の手を抜くようなことは1度もないし、精一杯教えた。

そして最後の指導が終わり帰るとき、『いつもとおんなじ。』

 

「さようなら。」だけ。

 

”先生いろいろありがとうございました。先生の勧めで塾に入ってよかったと思っています。丁寧に教えていただいて本当にありがとうございました”

的な挨拶があり、

”先生ありがとうございました。わからないとこらがあったら聞きに行きます”と生徒が言い。

少しウルウルしてお別れする。

”先生お礼のしるしです”と言って手土産を渡される。

 

こんな光景は昭和の時代の話なのだろうか?

それにしても呆気なかった。

 

星降る夜に 0228

それは現実的なこともある。

世界が全く清いということはないとわかっている。

でも、ドラマの中ではそうあってほしいと願っている。

鈴先生も、一星さんも現実を生きている。

それは、苦しく、しんどく、理不尽な世界だ。

でも、みんな素敵な仲間に恵まれていて羨ましい。

こんな素敵な方々の中で生きていたら、今の状況に陥らなかったと思う。

非難されることもある。

厳しい現実に立ち向かわなければならないこともある。

それでも、素敵な仲間に恵まれていれば乗り越えられる。

キャンプの場面は良かった。

心が透明な人たちに心を洗ってもらった。

仲間に恵まれていない。

仲間がいない。

それでも明日は来てしまう。

早く明日が来なくなってほしい。

もう疲れた。

こんな薄汚れた世界はもう沢山だ、だ、だ。

 

下層人間は我慢するしかない。

個人情報を勝手に関係する企業に教えてしまったことについて、東京建物、東京アメニティサポート、カノンアソシエイトに抗議した。

はじめ、東京建物アメニティサポートの小林氏が自宅まで謝罪に来るという話だった。しかし、時間が経過するにつれその話はなくなり、東京建物アメニティサポート側から一方的に、「個人情報保護法に違反する事実はない」とメールが送られてきた。

個人情報保護法や、当該企業が定める”個人情報の取り扱いについて”を研究すると、情報提供については個人の同意が必要である処に行きつく。当該メールに文書が添付されてきた。個人情報の取扱の説明が記載されているものであった。しかし同意したか否かについてはどこを探しても「同意した」証拠が見当たらない。

これ以上何かをしても、相手にされないのは明白だ。

東京建物、東京建物アメニティサポート、カノンアソシエイト殿からみれば、一個人なんてゴミなんだろう。

ゴミはごみ箱に捨てられ、抹消される。

この世の中は不条理で回っている。

いつもそうだ。

我慢するしかない。諦めるしかない。

人間の不良品

うつ病の波が来た。

ここ1週間、落ち込みがきつかった。

何もできない、何もする気にならない、時々激しい不安感、焦燥感が襲ってくる。

この症状に対抗することは難しい。

毎日決まった時間に服用する抗精神薬、不安感、焦燥感に対症する頓服薬を飲んで蹲っているだけだ。

うつ病の人は、お風呂に入ることが難しいとよくいう。

このような症状になった時、お風呂にも入れないし、トイレに行くのも億劫だ。

食事の支度などは全くできないから、シリアルとカロリーメイトで空腹を紛らわす。

今朝から落ち込みが少し弱まってきた。

メールくらいは確認しないとと思いPCを立ち上げ確認してみた。

無職、身寄りなし、友人なし、そんな我が身に着信するメールは無用なものばかり。

社会から無用と言われんばかりだ。

人間の不良品、こんなもんだろう。

自由と孤独

週3回のバイト以外の時間は、完全に自由だ。

体調が悪い時は横になっているが、動ける時は、掃除、洗濯、布団干しをしている。

朝の散歩はうつ病にはいいと聞くが、なかなか行く気にはなれない。未だ全く行っていない。

ただ、ベランダで洗濯ものを干していると朝日にあたる。少し気分が上向くように感じる。全く効果が無いというわけではないようだ。

身寄りはいない、友達もいない、知人もいない。全くの天涯孤独だ。自由に動いているときは感じないが、ふと時間に余裕があり、余計なことを考えていると、寂しさを感じる。会話をするのは、精神科の先生、内科の先生、眼科の先生、薬剤師さんだけだ。ちょうど一週間、誰とも会話していない。バイトではあいさつ程度はするが、会話はしない。

誰かを誘ってお茶を飲んだりできれば、寂しさもまぎれるのだろう。

そういう人はいない。

自分が選んだ道だから仕方ない。

 

自由と孤独は表裏一体だ。